和田正宏(BV-HEAD)
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テーマ
自然風景
撮影者
写真家 和田正宏
撮影日付
2022年
撮影場所
北海道
撮影機材
マーキンス
キヤノン
EOS 5D Mark IV
EF200-400mm F4L IS USM エクステンダー 1.4×
EF200-400mm F4L IS USM エクステンダー 1.4×
ジッツオ
3型 システマティック
レビュー
和田正宏(わだまさひろ)
1956年
北海道阿寒郡鶴居村 生まれ
1985年
北海道釧路市において初の個展「タンチョウの四季」開催
1989年
第一回読売新聞紙面貢献賞受賞
1990年
ラムサール事務局のポストカードに採用され世界62カ国に紹介される
北海道ニューフロンティアフェスティバル「大地の詩・北海道」選抜写真展参加(北海道・NHK主催)
北海道ニューフロンティアフェスティバル「大地の詩・北海道」選抜写真展参加(北海道・NHK主催)
1991年
東京、大阪、旭川、北見にて写真展「タンチョウ-四季の彩」開催
1992年
札幌、釧路、韓国釜山にて写真展「タンチョウ-幻野に生きる」開催
北海道ニューフロンティアフェスティバル「湿原物語-ほっかいどう」選抜写真展参加(北海道・NHK主催)
北海道ニューフロンティアフェスティバル「湿原物語-ほっかいどう」選抜写真展参加(北海道・NHK主催)
1993年
ラムサール条約国釧路国際会議に写真協賛
アメリカ・ウイスコンシン州「Leigh Yawkey Woods on Art Museum」にて写真展「The Cranes of Japan:Seasonal Colors in Kushiro Marshland」開催
3月~全米巡回展開催
アメリカ・ウイスコンシン州「Leigh Yawkey Woods on Art Museum」にて写真展「The Cranes of Japan:Seasonal Colors in Kushiro Marshland」開催
3月~全米巡回展開催
1995年
東京、名古屋にて写真展「タンチョウ-北国賛歌」開催
東京、札幌にて写真展「氷が奏でるアートの世界-夢氷」開催
東京、札幌にて写真展「氷が奏でるアートの世界-夢氷」開催
1996年
大阪にて写真展「タンチョウ-北国賛歌」開催
ブルネイダルサラーム国「Brunei Museum」にて写真展「Cranes of Japan」開催
ブルネイダルサラーム国「Brunei Museum」にて写真展「Cranes of Japan」開催
1997年
環境庁主催・釧路湿原国立公園十周年記念写真展
札幌にて写真展「タンチョウ-北国賛歌」開催
東京にて写真展「北の大地タンチョウ」開催
札幌にて写真展「タンチョウ-北国賛歌」開催
東京にて写真展「北の大地タンチョウ」開催
2000年
自然愛好家のためのホテル「TAITO」オープン
2020年
WADA MASAHIRO ART SQUARE オープン
- 写真集 -
1989年
「タンチョウ 四季の彩」 芸艸堂
1999年
「北の大地タンチョウ」 芸艸堂
公益社団法人 日本写真家協会(JPS)会員
鶴居村で生まれ育った私は、子どもの頃から慣れ親しんだタンチョウは特別な鳥ではなく、ごく普通の鳥に過ぎなかった。
そんな私がタンチョウを意識し写真を撮り始めたのは中学に入る頃で、今から思うと偶然ではなく必然だったように思う。
というのも、かつては絶滅したと思われていたタンチョウが1924年に釧路湿原の奥地で発見され、1952年には「釧路のタンチョウ」として国の特別天然記念物に指定されたこともあり、鶴居村や隣の阿寒町で献身的に給餌活動を行う有志の人々が現れ、保護活動が活発になったのである。
そして現在私が経営するホテルTAITOの起源は、1916年に創業した和田旅館なのだが、タンチョウの取材で訪れるメディア関係者も多く宿泊していた。
つまり私は幼少期の頃からタンチョウとそれを撮影する人たちに接しながら育ったのである。
そんなわけで趣味で撮り始めたタンチョウだが、20代の頃には自然風景写真なども含め、定期的にエージェントに送るようになっていた。
当時は中盤6×7のカメラに超望遠の非常に重くて大きい800㎜、1200㎜を多用していた。三脚もガッチリとした金属製のとても重いものを若さに任せて当たり前のように使っていた。
雲台に関しては色々なメーカーから出ている3ウエイ雲台の中から比較的しっかりしたものを使っていたが、どんな機材にもどんな撮り方にも満足のできるものはなかった。
中判カメラから現在は35ミリ版のデジタルカメラに移行し、三脚も金属からカーボン製になったことで耐久性と軽量化を合わせ持ったものに進化を遂げた。
雲台に関してはビデオ雲台やジンバルなどいろいろ使ってみたが、自分の使い方に合う納得のいく雲台は無いとほぼ諦めていた。
そんなとき友人から紹介された「マーキンス Q20iQ-BK・BV-24 セット」は、小さくて重量も1キロ弱と軽い。
だが自由雲台に関しては以前他社のものを使って全く良いイメージは無かった。ボール固定ネジをしっかり締めても微妙なフレーミングのズレがでるため、そのズレを予測してのフレーミングをしなければならなく、とっさの時など非常にイライラすることがあったからだ。
しかし、この Q20iQ-BK はフレーミングのズレはほとんどなく思った位置でピタリと止まってくれる。
撮影がとてもスムーズになったのは言うまでもないが、このマーキンスの固定力は特筆すべきものと思った。
又、動くものを追ったり飛ぶ鳥を流し撮りする時などはボール固定ノブでフリクションをかけられるのでビデオ雲台のようにスムーズに追うことができる。
200-400mm F4や600mm F4などの長玉を使う時などはBV-HEADを装着することで2ウェイになり安定感が増しとても使い勝手が良くなる。
これならば、長く使い続ける雲台として問題ない。
そんな私がタンチョウを意識し写真を撮り始めたのは中学に入る頃で、今から思うと偶然ではなく必然だったように思う。
というのも、かつては絶滅したと思われていたタンチョウが1924年に釧路湿原の奥地で発見され、1952年には「釧路のタンチョウ」として国の特別天然記念物に指定されたこともあり、鶴居村や隣の阿寒町で献身的に給餌活動を行う有志の人々が現れ、保護活動が活発になったのである。
そして現在私が経営するホテルTAITOの起源は、1916年に創業した和田旅館なのだが、タンチョウの取材で訪れるメディア関係者も多く宿泊していた。
つまり私は幼少期の頃からタンチョウとそれを撮影する人たちに接しながら育ったのである。
そんなわけで趣味で撮り始めたタンチョウだが、20代の頃には自然風景写真なども含め、定期的にエージェントに送るようになっていた。
当時は中盤6×7のカメラに超望遠の非常に重くて大きい800㎜、1200㎜を多用していた。三脚もガッチリとした金属製のとても重いものを若さに任せて当たり前のように使っていた。
雲台に関しては色々なメーカーから出ている3ウエイ雲台の中から比較的しっかりしたものを使っていたが、どんな機材にもどんな撮り方にも満足のできるものはなかった。
中判カメラから現在は35ミリ版のデジタルカメラに移行し、三脚も金属からカーボン製になったことで耐久性と軽量化を合わせ持ったものに進化を遂げた。
雲台に関してはビデオ雲台やジンバルなどいろいろ使ってみたが、自分の使い方に合う納得のいく雲台は無いとほぼ諦めていた。
そんなとき友人から紹介された「マーキンス Q20iQ-BK・BV-24 セット」は、小さくて重量も1キロ弱と軽い。
だが自由雲台に関しては以前他社のものを使って全く良いイメージは無かった。ボール固定ネジをしっかり締めても微妙なフレーミングのズレがでるため、そのズレを予測してのフレーミングをしなければならなく、とっさの時など非常にイライラすることがあったからだ。
しかし、この Q20iQ-BK はフレーミングのズレはほとんどなく思った位置でピタリと止まってくれる。
撮影がとてもスムーズになったのは言うまでもないが、このマーキンスの固定力は特筆すべきものと思った。
又、動くものを追ったり飛ぶ鳥を流し撮りする時などはボール固定ノブでフリクションをかけられるのでビデオ雲台のようにスムーズに追うことができる。
200-400mm F4や600mm F4などの長玉を使う時などはBV-HEADを装着することで2ウェイになり安定感が増しとても使い勝手が良くなる。
これならば、長く使い続ける雲台として問題ない。
■ 冬のタンチョウ
■ 降雪のキタキツネ
■ 草原の鹿
■ 鹿の親子
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